チキン誕生秘話
- チキンジョージ

- 6月30日
- 読了時間: 5分
2026年2月、神戸の老舗ライブハウス「CHICKEN GEORGE」の45周年記念本として、『おい!チキンジョージ』が出版された。
チキンジョージに対するクレームを集めた、抱腹絶倒の一冊。
ただし、そのクレームの奥にあるのは、どうしても憎みきれないライブハウスへの愛情である。
このブログでは、本書に収録しきれなかったインタビューや、取材中にこぼれ落ちたエピソード、そして本書の中からの特別抜粋を掲載していく。
第1回は、本書冒頭より「誕生秘話」を特別にお届けする。

吾輩はライブハウスである。名前はまだない。
神戸三宮の生田神社の西側、ニューエンペラーというキャバレエの二階で生まれたことだけは覚えている。時に一九八〇年の秋であった。
吾輩、自分のことをライブハウスだと心得てはいたが、世間様は誰ひとりとして吾輩の存在を知らなかった。それも無理はない。吾輩をこしらえたのは、いわゆる音楽業界の住人ではない。ミュージシャンでもなければ、音響会社でも、イベンターでもない。よりによって大人の社交場―キャバレエである。したがって、「三宮に新しいライブハウスができるらしいで」というような噂は一切流れず、吾輩はまるで雨上がりの地面からひょっこり顔を出した茸のごとく、世におぎゃあと出現したのである。
そもそも吾輩がライブハウスとなったのは、キャバレエの主人が息子たちに商売の勉強をさせるためであった。息子は三人。長男は二十歳になったばかりの青二才で、次男は高校生で、一番下にいたっては中学を出たばかり。音楽は好きらしいが、いかんせん素人。あとで聞けば、父親は若者を集めるためにディスコにするつもりであったとか。ところが長男が「そんなのかっこわるい」と駄々をこね、結局ライブハウスになったのである。先見の明があったかどうかは知らぬが、もしディスコになっていたならば、流行の終焉とともに吾輩はこの世を去っていたかもしれない。
とはいってもこの三兄弟、のちに『どこに出しても恥ずかしい三兄弟』と言われるスットコドッコイである。ライブハウスを経営するための戦略も戦術もありはしない。父親にしてみても、突然「ライブハウスをやる」と言われたところで困惑するほかない。大きく括れば飲食業、水商売ゆえ、その方面の口うるさい指導はあったものの、肝心のライブハウスについては、兄弟同様ノウハウもなければ人脈もない。それで「勝手にせい」と開業資金を渡し放任した。
今まで見たこともない大金を手にした三兄弟はニヤリと笑ったかと思うと「ライブハウスなんだから音がでるもん買わんといかんな」と言って街に出た。
一九八〇年の神戸といえば、株式会社神戸などと呼ばれるように景気がよかった。神戸港はコンテナ取扱数世界第三位を誇り、翌年、当時では世界最大の人工島ポートアイランドの第一期工事が完成し、博覧会が開催された。
吾輩の生まれた生田神社界隈もおおいに賑わっていた。門前町として長い歴史をもつこの場所は、吾輩が生まれる以前からずっと盛り場だった。吾輩の父たる「ニューエンペラー」をはじめ、「チャイナタウン」「月世界」「銀馬車」などキャバレエが軒をつらねた。父親の読み通り、ディスコが流行していた。「リド」「セカンドクラブ」「ル・キャステル」そして、ワシントンホテルの一階には「ビビアン・リー」があった。
兄弟たちがこの周辺を歩くと、「おい、エンペラーのボン」とよく声をかけられた。その日も例外ではなく、「おい、ボン。どこ行くねん」と聞かれたが、兄弟たちは「まあ、ちょっとそこまで」と言葉を濁した。だが、これから自分たちの店をはじめようかというのである。ましてや、懐には大金がある。普段と同じように装ってみても、内心は興奮していて落ち着きはなかった。なんかあったんやろか、と街の人は不思議そうに兄弟たちを見送った。
思えば、吾輩の存在が外界に知られたのは、元町の楽器店「ロッコーマン」が最初だったかもしれない。そのとき店番をしていたのは、後に吾輩のステージに数多く立つことになる元ファニーカンパニーのギタリスト、Romel Amadoだった。ファニーカンパニーといえば、桑名正博率いるロックバンドで、東のキャロル、西のファニカンと呼ばれるほど、人気のバンドだ。そんな人気バンドのギタリストがなぜか、ビザの関係でアルバイトを余儀なくされていた。なにせ一九八〇年、ロックミュージシャンというだけでは就労ビザが下りぬ時代。雇用関係が証明できるものがなければいけなかった。それで仕方なくアルバイトをしていたのである。たとえ人気のロックバンドといえども、当時のミュージシャンの社会的地位は、かくのごとく路傍の石のようなものであった。
そのRomel Amadoの前に現れたのが、学生服姿の少年を含む三人組、吾輩の飼い主たち三兄弟である。Romel は「子供が来た」と思った。きっとギターでも買いに来たに違いないと、用件を聞いてみると、「ライブハウスをやりたい」という。
「責任者を連れてきなさい」とRomel はあしらった。
「僕たちです」と三兄弟は言い切った。
にわかには信じられない。だが目の前の子供らは現金三〇〇万円を持参し、ツインリバーブ二台、プロリバーブ一台、ベースマン、ヤマハのドラムを所望するではないか。ミュージシャンもまた人の子。札束を見れば態度も変わる。
「ほな、お見積りいたしまひょか」とRomel Amadoは手のひらを返した。
納品に来たのもRomelであった。そのとき、まさか四五年後も、吾輩のステージに立つとは夢にも思わなかったであろう。機材を入れたあと、最初に音を出したのは、ほかでもない三兄弟だ。何のことはない。彼らはどうやら自分たち専用のスタジオでも持ったつもりで、ただ憧れの機材を揃えたかっただけだったのだ。
■45周年記念書籍「おい!チキンジョージ」
チキンジョージの歴史を振り返る特別な一冊が登場しました!1980年の開業から今日まで、多くのミュージシャンやファンに支えられてきたライブハウスの軌跡と、そこに集った人々の思い出が詰まっています。



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