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JAYWALK 溢れる音、交差する記憶

  • 執筆者の写真: TANPENS 編集室
    TANPENS 編集室
  • 2024年8月5日
  • 読了時間: 5分
2024年5月23日24日 CHICKEN GEORGE
2024年5月23日24日 CHICKEN GEORGE

その日、チキンジョージには音があふれていた。

2024年5月23日。「JAYWALKETERNALROCKTOUR2024〜桜舞うロックなひとときをご一緒に〜」の初日。ステージで演奏する四人の音がフロアにあふれ、音のつぶのひとつひとつが僕の記憶を刺激した。


とある1ファンの記憶


 はじめてJAYWALKをきいたのは1981年のことだった。僕は中学1年生で、私立受験に失敗して鬱屈した日々を過ごしていた。「こんなはずじゃなかった」「なんでこんなところにいるんだろう」とふてくされていた。見かねた友人が「音楽でもきけ」と一本のカセットテープを貸してくれた。そこにはChar、原田真二、BOWWOW、RCサクセション、YMO、シーナ&ザ・ロケッツとともに彼らのデビュー曲「JUSTBECAUSE」が入っていた。

 今思うとバラバラで節操のないミュージックリストだ。でもそれは「おまえにとってなにがいいかわからんからな」という友人のやさしさだったに違いない。勉強ばかりしていて夕飯のときにつけるテレビの歌謡曲しか知らなかったから、どの曲も衝撃的だった。こんな世界があるんだと目が開いた。

 そのテープを繰り返し文字通り擦り切れるまで聞いた。正確に言うならば、テープがのびきるまで聞いた。――今なら、おまえを愛することも憎むこともできるだろう――その繰り返されるフレーズが僕を救った。美しい旋律だった。愛も憎も美しいのだと思った。きっと少年らしいこじつけなのだろう。だがそうやって僕はやっかいな思春期を乗り越えることができた。

 それからも僕の人生の節目節目にJAYWALKの曲があった。大学をやめて芝居で食っていくんだと決めたとき、「何も言えなくて…夏」がFM802でヘビーローテーションされていた。東京で夢破れて明石に戻り精神の不調で苦しんでいたとき、なにをしていいかわからなくても立ち上がろうと思えたのはアルバムに入っていた「だから世界は変わる」だった。


杉田裕 | Vocal & Keyboard
杉田裕 | Vocal & Keyboard

JAYWALKの軌跡


 2日目の本番前。僕はインタビューの機会を得た。今回のライブは特別だ。全国ツアーと銘打つのはJAYWALKにとって久しぶりのことだったからだ。そしてこの日、そのツアーがファイナルをむかえる。

「チキンには思い入れがあったから」

 最後がチキンジョージであることを杉田裕は語る。

JAYWALKがチキンジョージに初めて出演したのは1981年のデビュー直後のことだった。結成が1980年。奇しくもチキンジョージが開店し、本格的にライブハウスとして始動した時期と重なる。

 関西でライブをするといえば大阪ではバーボンハウス、そして神戸ではチキンジョージがメインだった。

 チキンジョージとJAYWALKは同じ年月を歩んでいる。

 チキンジョージが阪神淡路大震災、コロナと幾度の危機を乗り越えてきたのと同じように、JAYWALKもまた苦しい時期があった。2010年にテレビを騒がせた事件といえばわかるだろう。当時ボーカルだった中村耕一が覚せい剤所持で逮捕された。ここで詳細を書くことはしない。知っている人は知っているし、調べればすぐにわかることだから。

 その後のJAYWALKが歩んだ道のりはとても険しく、ボーカルの脱退がバンドに及ぼす影響だけでも計り知れない。純粋に音楽のことだけではない。「JAYWALKの名前で営利活動をすることがはばかれる」ときもあったそうだ。そこにコロナが訪れる。

 だがJAYWALKは終わらなかった。マネジメント会社が倒産し、「糸が切れてしまった」ような状態から、キーボードの杉田を中心に今の体制になった。久しぶりの全国ツアー。すごく楽しかったとメンバーは口をそろえる。

「ほとんどのところで受け入れてもらって、盛り上がった実感はあった。やっぱり行かなきゃしょうがないよね。ライブやらなきゃ」


田切純一 | Vocal & Drum
田切純一 | Vocal & Drum

バンドになってきた


「バンドらしくなってきた。というかよりバンドになってきた。いま演奏するのが楽しいんですよ」と田切純一は言う。

 大ヒット曲が出ると、かかわる人間が多くなっていく。レコード会社はもちろん、イベンター、放送局。音も照明も、バンドが自分たちで試行錯誤するのではなく、もっと上のほうの都合で決まっていく。

「言われたことをやっていく日々だった」

 あのことがなければ、きっとそのままだっただろう。だが今はバンドをはじめたときの初期衝動に戻ってきて演奏を心から楽しんでいる。それが本当であることはステージをみればあきらかだ。

「バンドになってきた」

 そこには大きな意味がある。

 大きく崩れたからこそ、「今」がある。「だけどまだやっている。不死身のバンドだよね」と知久光康は笑った。

 2024年の1月、東京・日本橋三井ホールにて実施したワンマンライブ「JAYWALKONENIGHTSTANDLIVE」は、中村耕一が1日限定で参加した。

「手ごたえがあって。きっと耕一さんも同じようなことを感じていたと思う」


知久光康 |Vocal & Guitar
知久光康 |Vocal & Guitar

重なる音、交錯する想い


 インタビューが終わり、二日目がはじまる。 最終日は配信がはいった。

 初日と音が違う。

 美しい音のつぶが重なりあい、溶け合っている。ライブ終わりに音響さんにきいてみると「配信できいてもライブにいるような音になるよう少し変えました」と教えてくれた。 こうやって同じ演目でも新たな音に出会えることもライブハウスの醍醐味だろう。

 多くのファンがその音に酔いしれた。 想いが溶け合っている。

 そう感じた。彼らの演奏を聴きながら僕が自分の記憶をあふれさせたように、その場にいた者たちはみな自分たちの想いを音にのせて、ひとつになっていたように思う。

 それはもしかしたらあまりに感傷的な思い込みなのかもしれない。だがそう思わせるほどにJAYWALKのステージは「素敵」だった。


中内助六 | Vocal & Bass
中内助六 | Vocal & Bass

ONCE MORE THAT NIGHT


 七月からはじまる東京、名古屋、大阪をまわるライブツアーでは中村耕一がすべての公演に出演するという。そこにはどんな想いがあふれるのだろう。ツアータイトルは「ONCEMORETHATNIGHT」日本語に訳せば「あの夜をもう一度」。泣かせるタイトルだ。

 いつかチキンジョージでもJAYWALKと中村耕一が交わる日がやってくるだろう。なにせJAYWALKは不死身のバンドだ。

「長くやってればいつかはね」

 彼らはそう言った。


取材・撮影・文 / ファンシーコウ

THE TANPENS vol.40にて掲載。

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