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littlebee物語「サーカスの中心にいるために」

  • 執筆者の写真: TANPENS 編集室
    TANPENS 編集室
  • 2024年12月28日
  • 読了時間: 9分

◆ 播州織の音が鳴り響く。


 一九八一年。ひとりのミュージシャンが兵庫県加西市に生まれた。littlebee(以下ビー)。サーカスフォーカスの団長でVo/MC を担当している。彼は生まれたときからビートと音楽にあふれた世界にいた。

 実家の家業は播州織。家の隣に工場があって、四六時中機はたを織る音が鳴り響く。

「ちっちゃいころから工場へいっておじいちゃんおばあちゃんに遊んでもらって」いた。

 ガシャンガシャン、ゴトンゴトン。

 高校の吹奏楽部で出会った両親は音楽に造詣が深かった。祖父の代には織物産業が盛んだったこともあり、かなり裕福な家だったそうだ。そのおかげか家には様々な楽器があった。

「サックスとトランペット、クラリネット、ギターはもちろん。ありましたし、ピアノもアップライトとグランドピアノがあるっていうような環境で色々触ったんです」

 もちろんオーディオ機器もそろっていて、「吉田拓郎さんとサザンオールスターズがとにかく車でずっとかかってる。家に帰ったらオーケストラがずっととかかって」いた。そんな環境で幼少期を過ごした彼が音楽に興味を持つのは自然だ。

 はじめて買ったCDはプレスリーだった。アルバム三枚入りのボックス。

「今思えばですけど、かなりブラックミュージックというか、裏のビートが好きやったんですね。プレスリーって白人ですけど、影響を受けてる音楽ってホンマに黒人音楽が多いんです」

 小学生のころにはギターで弾き語りをはじめた。そのときは尾崎豊だった。中学にあがるとバンドを組むようになる。ブルーハーツ。ZIGGY。

「いろんなバンドをコピーしましたね。中学は全員坊主なのにソフィアとかやってました」 

 高校にあがるとパンクをやりつつ、ミクスチャーという音楽ジャンルに出会いヒップホップを知る。


◆ supreme sound recreation


 神戸商科大学に入学したビーは一学年下の後輩とバンドを組んだ。

「最初、INCUBUS かなんかのコピーバンドで、スクラッチするDJもあって、ドラム、キーボード、ベース、ギター、そして僕の六人で組んだんです」

 ほどなく、彼らはオリジナルをやるようになる。ミクスチャーで、ほぼラップだった。自分たちの代が卒業すれば自然と解散するだろうと彼は思っていた。だが音楽への想いというものはそう簡単に終わるものではない。バンドは卒業後も続いた。最初は遠隔でやっていたが、物理的な距離と、精神的な距離は埋まらなかった。彼の代は卒業して普通に就職していたが、下の代はまだ学生だからだ。

「もう一度本気でやろう」

 そう決意した。会社をやめて、お金をためて神戸にもう一度出てきた。地元でいっしょにやんちゃをしながらバンドをしていた友人を誘い、七人で2MCのバンドを結成する。それが「supreme sound recreation」だ。

「これで食べていかなあかん」

 四年生たちにとっても就職をけってバンドをするのだから、背水の陣だ。当時キーボードを担当していた女性がデモテープをレコード会社に片っ端から送り続けた。それがソニーのディレクターの目にとまり、メジャーデビューのきっかけとなった。

 二〇〇七年六月。

 リトルビー二六歳。その年には日本ロックフェスの最高峰のひとつでもあるサマーソニックの出演も果たす。彼らの音は高く評価されていた。――概存のミクスチャーバンドとも、確実に一線を超えている。竹内朋康(マボロシ/SUPER BUTTER DOG)※ supreme

sound recreation 公式サイトより引用――本気でやろう。そう決意してたった三年のことだった。


◆ ぼくとやったほうがいいですよ


 はじまりがあれば、終わりがある。

 supreme sound recreation も例外ではなかった。メンバーがそれぞれの音楽の道を模索しだし、彼らは約二年で解散する。

「上京して音楽をやろう」

 ビーは決意する。二曲、デモを作った。ギター、ベースは自分でいれて、歌をうたった。解散ライブで知り合ったミュージシャンに「ここに鍵盤を入れてほしい」と頼んだ。この曲で東京いく覚悟だった。

 でも音源をきいたそのミュージシャンは「これ、だれが歌っているんですか?」ときいた。

「そいつにしてみれば、MCとしてのイメージが強かったんでしょうね。それまでラップばっかりだったから」

 自分が歌っていることを伝えると、そのミュージシャンはこう言った。

「鍵盤いれますよ。いれますけど、ビーさん、東京行くよりぼくといっしょにやったほうがいいですよ」

 そのミュージシャンこそ、現在サーカスフォーカスでキーボードを叩いているichi(以下イチ)、その人だった。

「東京行きを全部断って、いっしょにやろうって二人で乾杯したんです。それがサーカスフォーカスのはじまりでした」


◆ 神戸をミクスチャーする


「居留地にあるカフェからはじめました。ビール二杯がギャラでした」

 二人は二年間そのカフェで毎週木曜、一度も穴をあけず演奏した。もともとブラックミュージックが好きだったイチの鍵盤は「弾く」というより「叩く」だった。

「そのビートが好きなんです」

 二人はバイトをしながらスタジオにこもり、音を紡ぎだしていく。紡ぎだしたのは音ばかりではない。人も場所もミクスチャーしていく。

 いたるところで彼らは演奏した。カフェ。ライブハウス。クラブ。みなそれぞれの文化があって客層も違う。だがそんなことはおかまいなしだ。どこへいってもサーカスフォーカスはサーカスフォーカスで、自分たちの音をつらぬいた。もちろんすべてが順調というわけではなかった。お世話になった事務所で辛く悲しい事も起きた。それがきっかけで不協和音が流れたりもした。そのたびたびに思い出すのは、どうして自分たちの名前を「サーカスフォーカス」にしたかということだった。


◆ 笑顔の中心にいたい。


 話はsupreme sound recreation でメジャーデビューしていたころにさかのぼる。ある日、プロデューサーに連れて行ってもらったバーで東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦氏と出会った。

「おい、ビー。おまえはなんで音楽やってんだ」ときかれた。すぐさま「ひとを笑顔にしたいっすね」とこたえた。それがとってつけたような答えだったことはすぐに見抜かれ「そうじゃねえだろ。もっとよく考えてからこたえろ」と言われた。

 ビーは必死で考えた。自分の人生をひとつひとつ思い出した。音のあふれる環境で育ったこと。はじめて買ったプレスリーのCD。バンドを組んではじめて人前で演奏したこと。ヒップホップに出会ったこと。本気でもう一度バンドをやろうと会社をやめたこと。走馬灯のようにビーの脳内に自分の過去がよみがえった。そして答えにたどり着く。

「ぼくは笑顔のまん中で、誰よりも笑っていたい。だれかを笑顔にするっていうより、笑顔のまん中にいたいんです」

 バンド名をつけるとき、ビーはその会話を思い出す。本当の自分とはなんだろう。それはエンターテインメントにあふれたサーカスのような空間の中心=フォーカスにいたいという願いにも似たエゴだった。

「自分たちのやりたいことをやっていこう」

 その原点を彼らは忘れない。


◆ サカフェス


 サーカスの中心にいたい。その気持ちは具体的な行動としてあらわれる。

 本当のサーカスのようなステージをしてみたい。そこでポートタワーの横、中突堤中央ターミナル(かもめりあ)にある円形広場で第一回「サカフェス」を開こうと企画した。

「いろんなひとの力を借りて、音楽だけじゃない総合エンターテインメントを円形でやるぞ」と意気込んだ。しかしそこにコロナが襲った。

 多くのミュージシャン同様、サーカスフォーカスもまた、動画配信など「やれることはすべて」やった。

 そしてようやく様々なことができるようになったとき、もうひとつ「推進力」が欲しいと思った。

「仲間を増やそう」そう思った。

「バンドにしよう。俺らバンド好きやん。いろんな意見やパワーを借りながらもっと前に進めよう」

 そして二〇二二年。Gt にu-nii(ユウニイ)、Ba にtazza(タッツァ)、Dr にkiyoshi(キヨシ)が加入し今のメンバーになった。お披露目はチキンジョージ。

「来年五月にサカフェスやります。まだなにも決まってないです」とステージ上で発表した。

 口にだしたものは元にはもどらない。それから彼らは必至で準備した。「やるからには最高のものにしよう」アーティストはサーカスフォーカスのワンマンライブのほかゲストパフォーマー。子どもたちが遊べるコンテンツ。花火などを用意した。場所はアスレチックパーク「ソラカケル」。

「(サーカス団のように)入れものを持ち運べなかった僕たちはそもそも遊べる場所でやろう。遊べる場所でフェスをすることが今一番近いサーカスの中心」だった。その想いに多くの人が共感し、協力していく。

 二〇二三年五月十三日。体験型音楽フェス「サカフェス」が開催された。当日は大雨だった。はじめてのことなので予見できないアクシデントもあった。だが最後までやりきってフィナーレには花火をあげることができた。反省点はある。もっとスポンサーも、観客も喜んでもらえることができるんじゃないか。もっと大きな笑顔の中心でフェスができるんじゃないか。そして翌二〇二四年はさらにコンテンツを増やし「第二回サカフェス」を開催。大成功に終わった。


◆ サーカスのように


 ビーはこのサカフェスで沢山の貴重な仲間と出会う。

 ビーの想いに賛同し、サーカスフォーカスへのリスペクトを持つプロフェッショナル達とだ。当日だけのことではない。長期にわたってサポートした。ビーは彼らを誘う。手伝って欲しいという立場ではない。「共に夢を追いかけて欲しい」といって誘ったのだ。それはまるで演者も裏方も家族のような共同体であるサーカス団員をスカウトしている様に聞こえた。「夢があるんです。ほんとうにサーカス団のようにステージを組めるテントをもって全国津々浦々行きたい。僕らはドームツアーをしたいわけじゃないんです。テントがあれば、どこにでもいける。娯楽の少ない田舎にもいけるんです。ほんとうのサーカスのように巡業したいんです」


 サーカスはありとあらゆるパフォーマンスをみせるおもちゃ箱のようなものだ。それはビーが愛した音楽によく似ている。彼自身もミュージシャンとしてだけではなく、バーのマスターをしたり、イベントの司会に挑戦したりと活動を広げている。

 きっといつの日かどこかの小さな町で「サーカスがきたよ」と子供たちが喜ぶ未来がやってくるだろう。

 そのときビーはその笑顔の中心で誰よりも笑って、「我々が! サーカスフォーカスです!」と叫んでいるに違いない。



サーカスフォーカス


港町神戸発、ニューソウル、レアグルーヴ、ヒップホップのエキスが染み込んだポップスを発信し続ける男性2 人(MC, Vo: littlebee とVo, Key: ichi)をにより結成された音楽グループ サーカスフォーカス。結成当初からの夢であった、まるでサーカス

の如くパフォーマーが入り混じったエンタメライブを作り上げるべく日々活動中。2022 年9 月よりGt にu-nii(ユウニイ),Ba にtazza(タッツァ),Dr にkiyoshi(キヨシ)を正式に団員(メンバー)として迎え入れ5 人の新体制で活動する事となる。


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