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下田逸郎「詩情の夜」

  • 執筆者の写真: TANPENS 編集室
    TANPENS 編集室
  • 2024年5月7日
  • 読了時間: 3分

下田逸郎・詩情の夜


 それはとても静かな事件だった。下田逸郎のステージで歌われる言葉が僕のなかに侵入した。そのときの感覚は、学校の教科書ではじめて目にした中原中也の詩の衝撃によく似ていて、僕の中にある「なにか」としか言いようもない柔らかいものを不意打ちした。難しい言葉はひとつもないのに、彼の「詩」が僕をうちのめし、勇気をあたえ、行方不明になっていた僕の大切なものを救い出してくれた。そんな夜だった。

 下田逸郎は伝説の人だ。もしくは物語で語られるような人だ。六〇年代七〇年代のカウンターカルチャーやアングラに影響を受けたものならその意味はわかるだろう。

 東京キッドブラザースの旗揚げに参加し、音楽監督をつとめた。ニューヨークのオフブロードウェイで上演された同劇団のミュージカル『ゴールデンバッド』は絶賛された。寺山修司の映画「書を捨てよ町へ出よう」ではサントラの一部を担当。あの伝説の「力石徹」の葬儀の音楽もつとめた。シンガーソングライターとしていくつもの名曲をリリースし、多くのミュージシャンからリスペクトを受けている。その代表が松山千春だろう。彼は下田逸郎を敬愛していて名曲「踊り子」をカバーしている。

 ステージがはじまる。静かに。大げさな演出はなく、淡々と。ビールを片手に心地よい音に包まれていた時、その不意打ちがやってきた。


 ――踊るあなたの手 ふるえて綺麗ね(下田逸郎「踊り子」より)

 

 この一節を耳にした瞬間、僕は打ちのめされた。「踊っているあなたのきれいな手が震えている」と書くことは出来る。だが「ふるえて綺麗ね」とは逆立ちしても書けない。

 その日の僕といえば、生きたレジェンドに会えるということだけでじゅうぶんなはずだった。だがそれだけではすましてはくれなかった。表現者になろうと決めた二十歳のころから憧れ続けた存在は「過去」ではなく「現在形」だった。おれは今こうして歌っている。おまえはどうなんだ。そう問いかけられた気がした。おそらく、きっと。


ひとりでいること


 その夜は去年リリースされたアルバム「地球の孤独」発売記念ライブだった。「孤独、ひとりっていうのをずっとテーマにしてきた」と開演前のインタビューで彼は語った。下田逸郎は放浪詩人だ。ニューヨークで絶賛されたあと帰国した彼を待っていたのはなにもかわらない日本だった。「絶望したというのは嘘で…」と笑うが、その後三〇代でいったん芸能界を離れ、国内・海外の放浪生活を送る。

「おれ、一人が好きなの。一人が寂しいのは知ってるよ。一人じゃ生きられないのも知ってる。一人じゃ世の中から完全に潰されるというか、負けるのも知ってるよ。だけど世の中で勝負なんかしたくないもの。ダサいせこい世界で。だからときどき逃げちゃうの。でも、ものを作るのに少数、個人にならなくてどうするのって思う」

 多くの人は個人ではいられない。ビジネスの関係はもちろん、家族、友人、先輩後輩、向こう三軒両隣、人は人によって繋がれている。カントの「われ思うゆえにわれあり」を人が引用するとき、それが孤独で生きようとするものの強がりなんだと、曲がりなりにも文章を書き続けている今ならわかる。僕を形作っているのは僕ではない、他者からの視線だ。自分で自分のことは見えないのだから。純粋に個人として世界にたつことはとても難しい。

「下田さんの時代はよかったですよね。音楽と人生がいっしょでしたから」

 そう言ったのは前述の松山千春だ。この言葉は世界にひとりでたつことの難しさを言っているのかもしれない。


 ステージが終わる。

 僕はもう一度彼の言葉に出会いたいとと強く思った。それは下田逸郎のライブが「いま、ここにいる、たったひとりのわたし」という気持ちに否応なくさせてくれるからだ。それは錯覚かもしれない。だがそれでもいいと思う。僕はこの夜、ひとりの詩人の虜になってしまったのだから。

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