先代桂文枝最後の弟子 明石の噺家 桂 阿か枝
- TANPENS 編集室

- 2024年2月5日
- 読了時間: 4分

画面越しからも朴訥とした人の好さがにじみ出ている。「桂阿か枝の落語の時間」は明石ケーブルテレビの人気番組だ。毎回明石の名所を訪れ落語とゲストとの対談で構成されている。今回、収録現場にお邪魔して桂阿か枝さんの魅力に迫ってみた。
名前の通り彼は明石出身の噺家だ。明石市民ならば駅や商店街の掲示板などで彼の落語会のポスターを見たことがあるだろう。彼は先代(五代目)桂文枝の最後の弟子だ。師匠譲りの安定した語りに定評がある。
◇ 落語との出会い
「たまたま小四のときに父親が持っていた落語のカセットテープをきいたのがきっかけなんです」テープに入っていたのは桂枝雀の『代書屋』だった。何回もきいた。覚えるくらい何度も。そのたびに笑ってしまう。
長じて大学入学後、彼は落研(落語研究会)に入る。落語をしたかったわけではない。むしろ落語を知りたい、きいていたい、というのが動機だった。それでも落研にいる以上自分でネタを披露しなければいけない。
「実は人前でしゃべるのが苦手だったんです」そう阿か枝さんは笑う。自分の言葉で人を笑わせることができたのは彼にとって大きな体験だった。やがて彼は落語の魅力にはまっていく。だがすぐに入門したわけではない。興味はあったが仕事にしようとは思ってもいなかった。大学を卒業後、彼は会社勤めをする。しかし働きながらも落語への想いは捨てきれることはできなかった。
「好きなことをやらないと四十五十になって後悔する。こんなことを思うくらいなら」と二年勤めた会社を辞め落語家を志すことになる。
◇ 先代桂文枝
阿か枝さんは、「上方落語四天王」のひとりである先代桂文枝(五代目)の門をたたくことにした。だがどうやったら弟子になれるのかわからない。楽屋口で待ったが会えない。彼は師匠の家までおしかけ頼みこんだ。平成八年四月、桂文枝がみずからのことを語った「あんけら荘夜話」を刊行した年だ。
文枝はその書において「一人一人の個性にあった落語を見つけてやる」と語っている。
「師匠からは今から稽古をつけるなんて言われたことありません。でもよく気がきかんと怒られました。言われることだけをやるんじゃなくて自分で考えろって。自分で気づくようにならなあかんでと言われました」
ある日のことだ。
師匠のお客様に「お弟子さんもご一緒に」と高級寿司店に行くことがあった。そのとき「ようみときや」と言われた。一流の職人の手の動きには意味があって無駄がない。日常の所作ひとつひとつが落語に生きることを阿か枝さんは学んだ。
駆け出しのころは「話して」「うける」ことがうれしかった。年齢を重ねるごとに落語にたいしてのとらえ方が変わっていった。
「夫婦ものとか、たしかにこんなことあるなあと話と自分が重なり合ってきた。しゃべるだけじゃない。目線だけじゃない。しゃべらないところも芸なんだ」
――ようみときや
きっと師匠文枝の教えがここにもあらわれているのだろう。
◇ 明石の落語家
「大阪に住んでこその上方落語」という固定概念がある。地方でやるものはひとつ落ちるというのはエンターテインメント業界によくある偏見だ。家庭の事情で明石にもどってきたが「大阪とかわらないものをやろう」と心に決めて活動をしている。
桂文枝一門といえば上方落語の本道中の本道だ。活動拠点を地方に移すことに葛藤がなかったわけではないだろう。だが阿か枝さんのような人は地方にとっては貴重な存在だ。
「大阪にはよういかれへん」という人に落語を届けたいと阿か枝さんは言う。
「(明石でやることに)張り合いをもっています」
※
インタビューが終わり、収録がはじまる。
この日は明石市立文化博物館での撮影だった。体験学習室で落語。テレビ収録ということで声を押し殺して笑う。そのあと場所をかえてゲストとの対談。おかしくて趣がある素敵な時間が流れた。
取材・文 TANPENS編集室
桂 阿か枝
明石市出身の落語家。昭和46年6月2日生まれ。岡山大学卒業
1996年4月 五代目桂文枝に入門、最後の弟子になる
1996年10月 奈良県河合町にて初舞台 2006年 なにわ芸術祭・新人奨励賞
2009年 なにわ芸術祭・新人 2021年 第16回繁昌亭奨励賞賞



コメント