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第3話「明石焼きってなぁに?」

  • 執筆者の写真: アケボノくん
    アケボノくん
  • 2月28日
  • 読了時間: 3分

ボクはアカシゾウ。名前はアケボノくん。明石の歴史を、明石市立文化博物館の学芸員さんに教えてもらっているんだゾウ。

 あ、学芸員の西本さん、こんにちは!

 今日はどんなお話、してくれるのー?

「こんにちはアケボノくん。今日は明石の焼き物についてのお話をしようかな。」

 ヤキモノ?

「そう。前回来てくれたときに少し触れたんだけど、明石は昔、焼き物作りが盛んだったんだよ。」

 へー! どうして明石は焼き物が盛んだったの?

「一つ目は、流通の面で明石は有利な場所だったからなの。」

 あ、ボク覚えてるよ! 明石は昔、畿内の出入口にあたる要所だったんだよね!

「そう! 明石は交通の要所だったの。高丘の窯跡で見つかった焼き物と同じ形のものが大阪の四天王寺の方でも見つかっているので、広く流通していたみたい。二つ目は、明石の赤根川流域は、良質な粘土が取れていたとも言われてて、実際に窯跡がたくさん発掘されているよ。」

 なるほど、焼き物には良い土が必要なんだね。

「それから窯にも種類があって、赤根川でみつかった窯跡は『窖窯』という、下部の焚き口から入れた薪の熱が上部の部屋へと伝わる構造なんだよ。」

 へー、そうなんだ!

「焼き物は大陸から技術が伝わってきたんだけど、日本海側からのルートと瀬戸内を通るルートの二種類があったみたいで、福井と明石の窯跡からだけ、角杯形土器っていう牛の角みたいな形をした杯が見つかっているんだ。」

 すごい! じゃあ、明石の焼き物の特徴ってあるの?

「実は明石といえばこういう焼き物ですっていう特徴はないの。最初の頃は、角杯形土器など須恵器という硬くしまった焼き物が作られていたけど、そのうち都などに運ぶための瓦の制作や日常で使う鉢なども生産もされるようになっていったの。一番盛んだったときには窯の数も赤根川と魚住辺りで五〇ぐらいあったみたい。江戸時代に入ってからは御用窯で明石焼とよばれる焼き物が焼かれていくんだ。明石焼ははじめは京焼の影響を受けたような陶器を焼いていたんだけど、だんだん日常雑器もつくっていくようになるんだよ。これが明石の焼き物です、っていう特徴がないのは時代ごとでいろいろな焼き物をつくっていたからなんだよ。」

 へー、あ! この焼き物、おもしろいデザインだね。

「いいところに気がついたね!これはオオサンショウウオと言われてて、ほとんど類がない珍しい飾りなんだ。」

 すごくかわいいゾウ!

「ほかにもフジツボなどのついた焼き物なんかも底引き網漁で海から上がることもあるんだよ。おもしろいでしょ?」

 おもしろいゾウ! お魚と一緒にみつかるなんてワクワクするね! 今日もおもしろいお話が聞けて楽しかった! ありがとうだゾウ!!

「こちらこそ楽しかったよ。また遊びに来てね、アケボノくん。」

 また来るねー! バイバーイ!

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